東日本大震災被災地を訪ねて

宮城県 石巻市

【概要】

震災直後(2011年4月末)、震災翌年(2012年4月末)、震災2年後(2013年5月初め)、震災3年後(2014年)に視察した。

ここで言う石巻市は北上、河北、雄勝、唐桑を除く地域で、東は万石浦から西は東松島市の間の石巻湾に面した地域を言う。湾岸部の津波浸水高は建物の1~2階に被害が出る程度の海抜8mであるが、石巻市は海抜2m程度の低地が広がっており、沿岸部は市中心部の日和山地区を除き広域に浸水被害を受け、死者・行方不明者2,430名(北上、河北、雄勝、唐桑を除く)、石巻市全体で3,710名である。

 

【視察報告】

震災直後(2011年4月末)は宿泊先の仙台市から三陸自動車道を通り、石巻港ICから市内に向かった。石巻港では大型タンクが流出、日本製紙石巻工場や近隣工場の津波被災状況を視察した。工場の被害状況からわかるように津波のおよそ浸水深は5mである。その後、日和大橋から旧北上川河口部の被災状況(写真左に市立石巻病院が見える)を確認しつつ石巻漁港に向かった。石巻漁港は水産加工施設や打ち上げられた漁船など大きな被害を受けており、水産加工施設では腐敗した魚介類の処理が滞っていた。その後、市街地に入り被災状況や上釜の仮埋葬(土葬)地を視察した。

 

震災翌年(2012年4月末)は女川町から女川街道(国道398)で万石浦の北側を通って石巻市街に向かった。万石浦中学区付近では下水道ポンプ場の復旧工事が行われていた。ポンプ場壁面に津波浸水位置の表示があり、渡波地区一帯も浸水深が5m、浸水高は海抜7mであったことがわかる。その後、湊小学校近くの旧・石巻赤十字病院、石巻北部に移転した現・石巻赤十字病院を視察した。旧・石巻赤十字病院には震災当時は看護学校が残っていたが、1階部分は水没している。現・石巻赤十字病院では周囲の農地は数十cmほど津波をかぶったが、病院は盛土がされており浸水していない。その上、病院は免震建屋であり被害はなく、石巻圏の中心となって医療活動を行っている。その後、上釜の仮埋葬(土葬)地を視察した。スポーツ広場への現状復旧工事が進められていた。

 

震災2年後(2013年5月初め)も女川町から女川街道(国道398)で万石浦の北側を通って石巻市街に向い、万石浦地区や渡波地区の視察を行った。渡波3丁目は壊滅的な被害で、幸町付近の水産業施設は1階をぶち抜かれたような被害で復旧は進んでいないが、元の場所に再建中の住宅もある。この付近には津波の浸水域に万石浦団地、渡波第1団地、渡波第2団地など多くの仮設住宅が建設されている。震災直後は万石浦中学校も渡波小学校も避難者は1,000名を超えていたといわれる。津波で1階の天井付近まで浸水し、孤立した中で建物の2階以上が避難所となった。市内ではNTTの営業所がまだ復旧していない。市北部の運動公園付近および開成地区は大規模な仮設住宅団地となっていおり、仮設交番も設置されていた。1階が浸水した石巻市立病院は解体工事が始まっていたが、門脇小学校は焼け野原となった周囲はガレキが撤去されているが、小学校の解体工事は始まっていない。上釜の仮埋葬(土葬)地は運動公園に復旧していた。

 

震災3年後(2014年4月末)は石巻市に宿泊、翌朝は日和幼稚園および送迎バスの運行ルートの確認を行った。次に解体工事中の門脇小学校から日和山公園に向かい、日和山公園から石巻市全体の状況を視察した。

2011年4月26日

2012年4月30日

2013年5月1日

2014年4月30日