東日本大震災被災地を訪ねて

宮城県 山元町

【概要】

震災翌年(2012年5月初め)、震災2年後(2013年5月初め)、震災3年後(2014年5月初めに視察した。

山元町は、北は亘理町、南は福島県新地町に接している。沿岸部の津波高は海抜10mで南端の磯山での遡上高は20mである。沿岸から1~2km内陸のJR常磐線近くでも津波高は8mで町民の半数以上が津波被害を受けた。JR山下駅、坂本駅とも跨線橋の上部を残して壊滅的な被害を受けたのをはじめ、山下駅付近では海岸から300mの養護老人ホーム「梅光園」で利用者・職員合わせて70名が亡くなったほか、駅近くの幼稚園では送迎バスごと津波に巻き込まれ、園児8名と職員1名が亡くなり、保育園では車で避難中園児3名が亡くなった。また坂本駅近くでは自動車学校の送迎バスが流されるなど教習生25名と教職員9名が亡くなった。山元町全体の死者・行方不明者は700名である。

 

【視察報告】

震災直後(2011年4月末)は訪問していない。

 

震災翌年(2012年5月初め)は、沿岸部を通る相馬亘理線で亘理町から南下して山元町に入った。山元町では相馬亘理線を南下、住宅地は壊滅的な被害を受けていた。南部の中浜小学校では津波は2階まで達したが、職員、全児童、一部の近隣の方とも屋上にある屋根裏部屋に避難し無事であった。中浜小学校の先では橋が落ちており、仮橋が設置されていた。さらに南下すると福島県新地町との境では高台から下る橋梁が崩壊し通行止めとなっており、社台レースホース脇を国道6号へ戻り新地町へ向かった。

 

震災2年後(2013年5月初め)も前年と同様のルートで視察を行った。中浜小学校の近隣の墓地は整地され、慰霊碑が設置されていた。碑文によると中浜区の死者・行方不明者は127名とのことである。

 

 

震災3年後(2014年5月初め)は山下駅付近を目指した。まず、山下駅跡地を視察した。現在は更地が多いが、震災直後はガレキの山となっていたところである。次に多くの犠牲者を出した養護施設「梅香園」、ふじ幼稚園、東保育所(解体・撤去済み)の立地などを確認した。山元町の被災地復興は3か所のコンパクトシティ構想で進められている。その一つ、山下駅の移転候補地(新駅は1km強ほど内陸へ移動予定)とその近くの宅地造成状況を視察した。その近傍では公営復興住宅が完成していた。また、坂元駅の移転候補地(1km強ほど内陸へ移動)でも大規模な宅地造成が進められていた。もう1か所は国立療養所西側の合戦原であるが、こちらは視察していない。

2011年

2012年5月1日

2013年5月2日

2014年5月1日