東日本大震災被災地を訪ねて

福島県 南相馬市

【概要】

震災翌年(2012年5月初め)と震災2年後(2013年5月初め)、震災3年後(2014年5月初め)に視察した。

南相馬市は、北は相馬市と、南は浪江町と接している。南相馬市沿岸は干拓地と高台が交互に続き、北から八沢浦干拓、真野川流域、新田川流域、太田川流域、小高川流域、宮田川・井田川流域と続く。途中、真野川と新田川の間に東北電力の原町火力発電所がある。津波は、沿岸部の浸水高は10m、断崖での遡上高は20m程度である。南相馬市全体の死者(直接死)・行方不明者は640名で、老健「ヨッシーランド」では利用者36名・職員1名が死亡した。原町火力は4月末には通常稼働した。

 

【視察報告】

震災直後(2011年)は訪問していない。

 

震災翌年(2012年5月初め)は相馬市から国道6号線で南相馬市に入り、原町火力発電所付近で沿岸に向かった。沿岸では原発から20kmの避難区域に20m掛ったために1年間の操業停止を余儀なくされた大内新興化学付近を視察した。この時には操業を再開していたが、大内新興化学から先は道路被害もあって未だに立入禁止となっていた。その後、引き返して国道6号線を南下し、下江井から沿岸部に向かったが、各所で通行止め(橋梁被害のため)となっていた。さらに国道6号線を南下すると浪江町の手前で立入禁止となっていた。

 

震災2年後(2013年5月初め)は相馬市から沿岸部の原町海老相馬線を通って南相馬市に入った。沿岸部の低地にある農地・集落は何も残っていない。八沢浦干拓地の沿岸に近い釡舟戸では集落全体が流され、今は無人の地域に横断歩道と同報無線のみが復旧していた。この地にあった山田神社も高台に移設された(この高台も津波に飲み込まれたとのこと)。八沢地区だけでも65名の方が亡くなっている。次に向かった真野川下流域は原町火力まであたかも荒野のようであった。真野川河口の漁港は復旧していたが、漁港の周囲も何もない。さらに南下して新田川を過ぎ、雫地区で一面を菜の花に囲まれたモニュメントの丘(南相馬集慈の会)に遭遇した。なお、浪江町に接する南相馬市南部の井田川流域については浪江町で述べる。

 

震災3年後(2014年5月初め)は八沢浦干拓の沿岸側を南下し南相馬に入った。真野川下流の南右田地区は防潮堤が破壊されたままで、農地も手つかずの状態であった。そのなかで、ここでも「奇跡の一本松」に出会った。次に今年も雫(しどけ)地区の「集慈・祈りのモニュメント」を確認、次に沿岸部の台地を南下して大内新興化学へ向かった。大内新興化学の工場前の道路の昨年と同じ位置で通行止めとなっていた。その後は国道6号へと戻り、小高川流域に向かった。小高川下流域は被災した家屋、流出した橋梁、破壊された防潮堤などが放置されている。その後も南下して井田川流域を視察した。井田川流域でも被災家屋、農地、破壊された防潮堤が放置されている。沿岸部では大規模にガレキや汚染土が仮置されているが、処理は進んでいない。

2011年

2012年5月1日

2013年5月2日・5月3日

2014年5月1日