東日本大震災被災地を訪ねて

岩手県 洋野町

【概要】

 視察を行ったのは下記の通り。

      ・震災翌年(2012年4月下旬)

      ・震災5年後(2016年4月下旬)

      ・震災10年後(2021年4月下旬)

 

   洋野町は岩手県の最北部にあり、北は青森県階上町、南は久慈市に接している。洋野町北部の川尻地区に設けられた堤防高(海抜12m:2008年)と地区の状況(被害なし)から津波浸水高は海抜10m程度と思われる。種市の市街のほかに沿岸部には八木港をはじめ多くの漁村があるが、沿岸は全体的に断崖で続いており、津波遡上高は15mであるが、住宅や公共施設(学校や病院)が比較的高台にあり被害は小さい。低地部でも津波避難が成功しており、死者・行方不明者はいない。

 

【視察報告】 

2012年4月27日

   震災翌年(2012年4月下旬)に青森県階上町から沿岸に沿って南下した。北部は角浜(かどのはま)漁港をはじめ住宅地は高台にあり被害がほとんどない。種市漁港や八木港の復旧は進み、JR八戸線(八戸~久慈)も1か月前(2012年3月)に復旧していた。八木南町の津波避難場所への避難路は夜間でも避難できるように太陽光発電による照明が設置されていた。ただ、避難路入り口通路部は両側がブロック塀のため、揺れが大きい場合は塞がれる心配がある。 

2016年4月24日

    震災5年後(2016年4月下旬)も青森県階上町を通って洋野町に入り、沿岸部を南下した。まず、JR平内(ひらない)駅近くの川尻地区の川尻児童館を視察した。高い防潮堤に守られて津波の被害は受けていないが、少子化の影響のためか現在は閉館となり種市病院の隣の種市保育所に併設されている。その後、種市漁港に2015年7月に開館した洋野水産会館ウニークを視察し、屋上から隣接する稚ウニ養殖施設の復旧を確認した。さらに南下した八木港では大規模な防潮堤の建設工事が進行していた。 

2021年4月25日

   震災10年後(2021年4月下旬)も青森県階上町から洋野町に入り、沿岸部を南下した。川尻では震災以前に完成していた高い防潮堤や旧・児童館を確認し、津波供養塔(昭和の三陸津波で洋野町でも107名が亡くなった)を見て漁港に向かった。次に向かった種市漁港の高さ12.5mの陸閘には、東日本大震災での津波高が予想通り10.0mであったことが表示されている。次に向かった八木では、八木郵便局前の巨大な防潮堤工事が完成していた。八木南町の津波避難路は片側がコンクリート壁に代わっており、多少安全となっていた。その後、久慈市に入った。 

【洋野町】

津波

浸水高

約10m

遡上高

約15m

死者(関連死)行方不明者(2021年3月)

0人(関連死0人)

人口推移

2010年

17,913人

2020年

14,874人

増減率

―17%

主要地域

川尻、種市、八木

 

〇被害と復旧状況

  ・全体

    ・町は内陸にも広がっているが主要地域はJR八戸線に沿った沿岸部にある。

沿岸は海岸段丘が続き、住宅や公共施設は高台にあって津波被害は漁港と

その付近の低地部に限られる。

    ・多くの漁港すべてが被害にあったが早期に復旧した。

    ・JR八戸線は一部に被害を受けたが早期に復旧(2012年3月)。

  ・川尻地区

・川尻地区の防潮堤(標高12m、2000年完成)は先見の明で津波

(津波高約10m)の被害を漁港のみに抑えた。

・種市地区

    ・漁港やウニの養殖施設が被害を受けたが、早期に復旧した。

    ・洋野水産会館「ウニーク」ができたが、観光ルートからは離れており、

苦戦しそう。

  ・八木地区

    ・八木港の背後に大きな防潮堤が完成したが、JR八戸線はその海側に

あり、防潮堤の効果は限定的。

 

〇10年間の視察結果と感想

  ・住宅や公共施設(役場、病院、学校など)は高台にあり、津波対策上の

問題は少ない。

・人的被害が小さいと復旧は早い。

  ・しかし、人口減少率が大きく、少子高齢化は今後も続くと思われる。

  ・内陸の大野地区(小中高校がある)も含めて、長期的には人口1万人強で

継続できるまちづくり計画が必要。内陸の大野地区と沿岸の種市地区の

2拠点(コンパクトな中心地)とサテライト構想であろう。

  ・八木では数件の住宅等の高台移転を行なえば防潮堤は不要と思われる。